目立たなかった「綻び」を浮かび上がらせる
「鮒」(向田邦子)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
新潮文庫
勝手口に置かれていた
バケツには、
一匹の鮒が入っていた。
体長15センチほどのそれには、
確かに見覚えがあったのだが、
家族の手前、
塩村は知らない振りを
するしかなかった。
それはかつての愛人・ツユ子の
飼っていたものだった…。
塩村家はどこにでもある四人家族
(夫・妻三輪子・長女真弓・長男守)
なのですが、塩村は
実は一年ほど前不倫をしていたのです。
鮒はツユ子が置いていったものに
違いないのですが、なぜ?
不倫相手からの届きものは、
林真理子「年賀状」のように、
幸せな家庭を崩壊させることも
あるのですが、本作品の場合は
そうではなさそうです。
私が感じたのは、塩村と守の
男どうしの関係の面白さです。
本作品の味わいどころ①
鮒を飼おうとする守にハラハラ
鮒はある意味、
塩村の不倫の「生き証人」なのです。
そのようなものが
円満な家庭に存在していては、
塩村にとって居心地がいいはずが
ありません。どこかに
放流してしまいたかったのでしょうが、
守が「飼う」と言ったから大変です。
塩村はその鮒を見るたび、
ツユ子との一年を
いやでも思い出してしまうのです。
本作品の味わいどころ②
それは贖罪?塩村の自虐的行動
割り切るために塩村の起こした行動が
また何ともいえません。
守を連れて、ツユ子のアパート周辺へ
散策に行くのです。
もちろん詳しい話はせず、
「知らない町を散歩してみないか」という
塩村の提案に
守が乗っただけなのですが。
塩村のその感覚の描写が秀逸です。
「鮒吉の世話をしているくれている
守を連れて、一年前の古戦場を
葬って歩きたかった。
そうするのが
守に対しての仁義だと思った。
ツユ子に対する罪ほろぼしと
いうところもあった。」
本作品の味わいどころ③
なんとなくわかり合う男どうし
その散策から帰宅すると、
なんと鮒が水面に浮いているのです。
三輪子の「ねえ、
パパとどこへ行ったの」という
問いかけに対し、
守は「ワン!」と犬の吠える真似をして
返すのです。
守は明らかに
父親の側に付いているのです。
詳しいことはまったく
わからないなりに、
息子は父親の拠ん所ない事情と心情を
肌で感じているように想われます。
塩村家は「まったく圓満」というわけでは
ないのでしょう。
抱え込んでしまった「過去の不倫」、
どことなくぎこちない夫婦関係、
父親を小馬鹿にしている娘、
母親に反抗心を示す息子、
うっすらとできかけている
「父親・息子↔母親・娘」の構図、等々。
いつか大きなひび割れに直結しそうな
綻びは見えているのです。
しかしもしかしたらそれが本当の
「家庭」の姿なのかもしれません。
ごくありふれた家庭の中に
一匹の「鮒」をほうりこむことによって、
目立たなかった「綻び」を
浮かび上がらせる手法は
見事としかいいようがありません。
「あなたのこないときは、
部屋のなかに
生きて動くいているものがないと
寂しくて仕方がないのよ」と
ツユ子が飼い始めた鮒。
一家がわずか数日間で
死なせてしまったことを考えると、
一年以上の間、
大きく成長するまで育て上げた
ツユ子の寂しさの度合いが
推し量られるようです。
本作品は1981年7月に
「小説新潮」に掲載、
その1ヶ月後の航空機事故により、
向田邦子は帰らぬ人となったのです。
※「日本文学100年の名作第7巻」
収録作品一覧
1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979|哭 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981|鮒 向田邦子
1982|蘭 竹西寛子
(2022.4.7)
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以下の記事をリニューアルしました。
こんにちは。二回目のコメントです。
前回は源氏物語でさせていただきました。
あらすじを読んで、興味を引かれました。
綻びは我が家にもありますが、たぶんどこの家庭にもあるのだと思います。綻びがびりびりと修復不可能になるほど裂けないように、無意識に、はっきりそれと分からないほどの努力や工夫を人はしている気がします。
こんばんは。コメントありがとうございます。
まったく綻びのない家庭など
もしかしたら存在しないのかもしれません。
本作品の主人公も、そして
現実世界に生きる私たちも、
その綻びを目立たぬようにしながら生きているのでしょう。
それをちょっとした「異物」をほうりこむことによって
静かにあぶり出した向田邦子の上手さが光る作品です。
「小説を味わう」というのは
このような作品を読むことなのではないかと思うこの頃です。
これからもよろしくお付き合い願います。